2013年12月31日

初夏の落葉3

「柳小夢、この名前、憶えといて損はないで」

「はい、憶えておきます」
 
 何か、声が遠く聞こえる、陶然。注がれるままに飲んだ。
 小夢は、孤児だったという生い立ち、十五歳からの内弟子生活の話を語る。左京も、父と聞いた長楽亭京の輔の高座を、熱く語った。かなりの酒も口にした。

「あんたも噺家になりいな」
 突然、いわれた。

「初めてちゅうのに赤くもならんと、目え据えてからに。あんた、大酒飲みと・・噺家の素質がある」
 確かに生涯最初にしては、快適だった。

「わいも、水上左京ちゅう名前、憶えとくわ・・この歌声踏み躙った機動隊、いつか高座でしゃべりいや。客を爆笑させるマクラでな」

「爆笑させるマクラ・・笑い飛ばすんですね」

「ああ。あんたなら、できる。そんだけ落語が好きなもん、プロの噺家ん中にもそうはおらんで」
 噺家になるんやで、そいでわいといつか二人会するんや・・二十歳の小夢は、まるで十も年上の様に勘定書きを掴んだ。

(同い年の・・入門五年目の・・)
 プロの噺家。

(俺も噺家に)
 かなり酔っていたんだろう、そう思った。

 だが、落語好きの父も芸人になるとなれば話は別、何年経っても頑として許さなかった。

 こいつがあたしんとこに弟子にしてくれて頭下げた時にゃあ、もう二十五でしてねえ、京治師匠が呟いた。

「人より十年遅い。でも、こいつは噺家になるために生まれてきた様な野郎だった」

 父に押し切られ、卒業後一旦は就職もした。

(ちいと早い奴は、女房子がいる齢なんだぞ。折角堅気の仕事についたのに、いつまでもふらふらしてるんじゃない・・か)
 
 あれは二十五歳の誕生日。晩秋、日曜の昼席から夜までずっと旧館の豊島演芸場にいた。

 父にこれ以上心配はかけられない。人も羨む職も得たし、職場でも評価され始めている。夜席のトリが、長楽亭京治でさえなければ・・夢は街路のハナミズキみたいに、寒々しく散っていた筈だった。

(師匠の宮戸川、通し・・思わず弟子にして下さいっていっちまった)

 それから二十年、あっという間だ。

「鯰さんがそこまでいうんだ、そりゃ紛れもない、左京の芸なんでしょうよ。判りました、それで送ってやります」

 師匠がそういえばもう、どうしようもない。

 仲間は連休で地方に散っている。通夜は三日後、葬式はその明けの五月三日と決まった。



Posted by 渋柿 at 11:43 | Comments(0)
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