2009年02月01日

「尾張享元絵巻」最終回

 のどかに鶯が鳴く。
「われ等は、似ておるのだなあ」
「はっ?」
「東照大権現様の御血(おんち)じゃ」
「御血・・」
「似ておる。しかし違う。ゆえに相想い、相憎んだ」
「・・御意」 吉宗の想いは、宗春の想いであった。
「そちはいくつじゃ」
「当年、四十三にあいなります」
「永かろうなあ」
「は?」
「これからのことよ。じゃが、やすきに付くことは断じて許さぬ!」その声は、凛然としていた。
「死ぬことは断じて許さぬ。そちは余よりはるかに若い。見よ。見届けよ。我らがまつりごとの結末を」
「畏れながら、それには百の齢(よわい)をもちましても足らぬかと」
 花弁(はなびら)が、座敷のうちにも、数片舞いこんできた。春風が二人の頬をなぶる。しばし、無言で同じ花吹雪(ふぶき)をながめる。

「これが、今生の別れとなろう。体をいとえよ」吉宗は下座に下る。
 宗春は上座に直り、手を叩いて小姓を呼ぶ
「加納殿のお帰りじゃ」
「これにてお暇いたしまする」吉宗は平伏した。
「うむ、上様に、良しなに」
 目で、ご配慮ありがとうございました、と語る。
 このとき心から、肉親の兄たちにも感じたことのない「血の通った」暖かさを感じた。襲封直後の“ご対顔”のときに感じた親しみ―運命は皮肉であった。
 
 尾張には戻されたものの、宗春の幽閉は死ぬまで、二十四年の永きに及んだ。

 三百年の歳月。

 吉宗は揺らぎかけた徳川幕府を建て直した名君として、また宗春も江戸、京大坂と並ぶ中京名古屋の繁栄の礎を築いたこれも名君として、その名は不朽である。
享元絵巻と共に。



Posted by 渋柿 at 15:21 | Comments(0)
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