2009年01月29日

「尾張享元絵巻」23

師走(しわす)も押し詰まった二十日、上屋敷に珍しい客があった。
伊吹屋茂平である。かつて藩へ、しめて一万五千両もの献金をした恩人、宗春は居間に通した。
「伊吹屋、まだ生きておったか」
宗春は、さらに老いた伊吹屋に遠慮なくいった。
 初対面のとき五十路(いそじ)半(なか)ばと見えたから、今は六十を越えているはずである。
「躬の方が、先に冥土(めいど)に参るようじゃのう」
「ご冗談を。今日は、お殿様に献上したきものがございまして参上いたしました」
「もう、千両箱は要らぬぞ」
「いいえそのようなものではございません」
 伊吹屋は、鬱(う)金(こん)の風呂敷をとき、大き目の巻物のようなものを取り出した。 
「ご覧下さいまし」
巻物を広げる。
「や!」
  
町の賑わいを描いた極彩色の絵巻物であった。
名古屋城下。
西小路(にしこうじ)、富士見(ふじみ)原葛町(はらくずまち)の遊郭。商家の繁盛ぶり。観客の熱狂する芝居小屋。大洲(おおず)観音門前人々は、活き活きと、鮮やかな衣装で、町を行く。
「これは?」
息を呑んでしばらく声も出なかった宗春が、やっと訊(き)いた。
「手前が描きましたものでございます」
「お主が」
「手前の父は、さる大藩のお抱え絵師でございまして。手前も若い頃絵の修行をいたしました。冥土が近くなりまして、どうしても名古屋城下の賑わいを、描きたくなりました」
宗春の心が熱くなった。
 活き活きと蘇(よみがえ)る、我が治下の名古屋城下。
「これを、お主がのう」
「丸一年かかりました」
「これを身にくれると申すか」
「はい、お殿さまに差し上げるために、老いの手に絵筆を持ちましてございまする」
「宗春、心より礼を申す。何よりの贈り物じゃ。嬉しいぞ」
「ははっ」
「一献、酌もう。相手をしてくれ」
「畏れ多きことでございまする」
 宗春は手を叩き、酒の用意を命じた。ややあって酒と共に運ばれてきた肴(さかな)は青菜の味噌あえ、またときを置いて運ばれた汁の実は豆腐であった。
「ほう、これは」
「遅まきながら、躬も近頃将軍家をみなろうての」
宗春は苦笑する。
吉宗の常の粗餐(そさん)は有名である。
「麹町(こうじまち)の下屋敷の畑で取れた青菜じゃ」
「味噌は名古屋の赤味噌にございますな」
「江戸で生まれ、江戸で過ごした年月が多いというに・・味噌はやはり尾張の赤味噌よ。というてもこれは躬の好み、赤味噌、白味噌、人の好みは様々であろうが・・」
「紀州の味噌は白うございますそうな」
「味噌の好き嫌いに似たことで・・意地を張ったものよ」
「胸のすく意地でごさいました」
(こやつ、何者か?)
 宗春は、改めて思った。尾張五十六万石、総力をあげた探索で、元は浪人、仙台の薬種問屋の番頭上がり・・とまでは判明している。だが、その薬種問屋と出会う前の経歴については、依然空白であった。
(もしや、いやまさか、公儀隠密・・)



Posted by 渋柿 at 09:28 | Comments(0)
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