2009年01月27日
料理の映える粉引きの器
『絵師(えし)親娘(おやこ)轆轤師(ろくろし)親(おや)息(こ)競いあう窯場しんしん走る緊張』若手陶芸家川口武亮さんにお遭いし旧
有田町長で歌人の祖父、故川口武彦さんが本紙読者文芸に発表された歌を連想しました。「祖父は陶器商社に関わっていましたが、自分で作るようになったのは父の代からです」と武亮さん。その言葉通り、父の武昭さんがいわば初代として、父親の陶器商社の営業職から30歳で陶芸家へ転身されたそうです。会社員をしていた武亮さんも、24歳の時に有田窯業大学校に入りました。
その後静岡県伊豆や三重県伊賀で修行を重ね、2005年に有田に窯を構えました。武亮さんは今、白化粧土を厚く生がけした粉引(こひ)の土ものの食器を作っています。「後継者といっても有田伝統の磁器ではありませんし、二代目といっても絵付白磁を作る父ともまた、別のことをしています。ただ有田で生まれ育ち、焼き物の量産化が進むなか手仕事のよさを伝えていけたら、とより良い器づくりを頑張っていきたいと思っています」と静かに抱負を語る武亮さんでした。
有田町長で歌人の祖父、故川口武彦さんが本紙読者文芸に発表された歌を連想しました。「祖父は陶器商社に関わっていましたが、自分で作るようになったのは父の代からです」と武亮さん。その言葉通り、父の武昭さんがいわば初代として、父親の陶器商社の営業職から30歳で陶芸家へ転身されたそうです。会社員をしていた武亮さんも、24歳の時に有田窯業大学校に入りました。
その後静岡県伊豆や三重県伊賀で修行を重ね、2005年に有田に窯を構えました。武亮さんは今、白化粧土を厚く生がけした粉引(こひ)の土ものの食器を作っています。「後継者といっても有田伝統の磁器ではありませんし、二代目といっても絵付白磁を作る父ともまた、別のことをしています。ただ有田で生まれ育ち、焼き物の量産化が進むなか手仕事のよさを伝えていけたら、とより良い器づくりを頑張っていきたいと思っています」と静かに抱負を語る武亮さんでした。
Posted by 渋柿 at 16:32 | Comments(0)