2009年01月23日
「尾張享元絵巻」17
尾張藩上屋敷・表書院の上段に、上使は立つ。裃(かみしも)長袴(ながばかま)の姿で宗春は下座に平伏した。
「上意!」 正使の旗本、滝川元(たきがわもと)長(なが)が、声を払った。「徳川中納言(ちゅうなごん)宗春、その方の行状、不届きのことこれあり、詰問いたす」
「ははっ」宗春はさらに深く叩頭(こうとう)する。
「一つ、江戸にて恣(ほしいまま)に遊山見物をすること。一つ、嫡子国丸の旗幟の、未だ披露もなきにみだりに町人に見物せしめたこと。一つ、奢侈(しゃし)遊蕩(ゆうとう)を旨(むね)とすること。以上のこと、はなはだ不届き、きっと叱り置く」
副使の旗本、石川(いしかわ)政(まさ)朝(とも)が、上意書を宗春に示した。
「おそれながら、御上使に申し上げます」作法どおり、宗春は平伏したまま答えた。「仰せいだされた事柄、もっとも至極で、一言もござりませぬ。今後は身を慎み、行ないを改めまするゆえ、御上使より上様に宜しくおとりなしの程、お願い申し上げます」
儀式は終り、宗春が書院を去ると、茶菓が出された。
平服に改めた宗春が再び書院に現れたときには、本来の身分秩序に戻る。
「役目、大儀」宗春は上段の間に座して悠然といった。
「ははっ」今度は滝川等が平伏する。
「御上意への返答は、先ほど申したとおりじゃ。このまま帰って将軍家に復命してもらってもよいのじゃが。しばし世間話でもいたそうと思っての」臍下(せいか)丹田(たんでん)に力を込る。「わが家に上使を迎えるとは、近頃妙な話ではあるな」
「はあ」
「そもそも、将軍家、尾張家、紀州家は同格のはずじゃ」
「何と!」滝川が腰を浮かす。
「何を驚く。水戸殿には心苦しいが、あちらは神君末子の御裔(すえ)、位階(いかい)石高(こくだか)いまひとつじゃ。躬の祖父光友在世の頃までは、この三徳川家をこそ御三家と称しておったこと、知らぬわけではあるまい」
「それは、四代様まだ幼く、将軍家の威令全(また)からぬ頃のことにて」
「おお、五代様は生類憐(しょうるいあわれ)みの触れなど出され、ちと我儘(わがまま)が過ぎられたやもな。したが本来同格なればこそ、将軍家との対面も、ご拝謁とは申さずご対顔と申す。その方らが上使と称するから、躬も謹んで思し召しを承(うけたまわ)ったが、我が家は本来上使を差し向けられてよい家ではない」鋭く言い放った。「これ、顔色を変えるな。これは世間話よ、世間話」
「とはいえ・・」抗議しようとした副使石川を、宗春は白扇で制した。
「躬は、恣に遊山見物をした覚えはない。尾張の太守として、必用な見聞を広めただけじゃ。大名の中には、江戸では畏(かしこ)まって見せながら、国許で遊蕩三昧(ざんまい)をするやからも、確かにおる。躬はそのような裏表がないだけのことじゃ」
上使二人は、衝撃のあまり言葉も出ない。
「上意!」 正使の旗本、滝川元(たきがわもと)長(なが)が、声を払った。「徳川中納言(ちゅうなごん)宗春、その方の行状、不届きのことこれあり、詰問いたす」
「ははっ」宗春はさらに深く叩頭(こうとう)する。
「一つ、江戸にて恣(ほしいまま)に遊山見物をすること。一つ、嫡子国丸の旗幟の、未だ披露もなきにみだりに町人に見物せしめたこと。一つ、奢侈(しゃし)遊蕩(ゆうとう)を旨(むね)とすること。以上のこと、はなはだ不届き、きっと叱り置く」
副使の旗本、石川(いしかわ)政(まさ)朝(とも)が、上意書を宗春に示した。
「おそれながら、御上使に申し上げます」作法どおり、宗春は平伏したまま答えた。「仰せいだされた事柄、もっとも至極で、一言もござりませぬ。今後は身を慎み、行ないを改めまするゆえ、御上使より上様に宜しくおとりなしの程、お願い申し上げます」
儀式は終り、宗春が書院を去ると、茶菓が出された。
平服に改めた宗春が再び書院に現れたときには、本来の身分秩序に戻る。
「役目、大儀」宗春は上段の間に座して悠然といった。
「ははっ」今度は滝川等が平伏する。
「御上意への返答は、先ほど申したとおりじゃ。このまま帰って将軍家に復命してもらってもよいのじゃが。しばし世間話でもいたそうと思っての」臍下(せいか)丹田(たんでん)に力を込る。「わが家に上使を迎えるとは、近頃妙な話ではあるな」
「はあ」
「そもそも、将軍家、尾張家、紀州家は同格のはずじゃ」
「何と!」滝川が腰を浮かす。
「何を驚く。水戸殿には心苦しいが、あちらは神君末子の御裔(すえ)、位階(いかい)石高(こくだか)いまひとつじゃ。躬の祖父光友在世の頃までは、この三徳川家をこそ御三家と称しておったこと、知らぬわけではあるまい」
「それは、四代様まだ幼く、将軍家の威令全(また)からぬ頃のことにて」
「おお、五代様は生類憐(しょうるいあわれ)みの触れなど出され、ちと我儘(わがまま)が過ぎられたやもな。したが本来同格なればこそ、将軍家との対面も、ご拝謁とは申さずご対顔と申す。その方らが上使と称するから、躬も謹んで思し召しを承(うけたまわ)ったが、我が家は本来上使を差し向けられてよい家ではない」鋭く言い放った。「これ、顔色を変えるな。これは世間話よ、世間話」
「とはいえ・・」抗議しようとした副使石川を、宗春は白扇で制した。
「躬は、恣に遊山見物をした覚えはない。尾張の太守として、必用な見聞を広めただけじゃ。大名の中には、江戸では畏(かしこ)まって見せながら、国許で遊蕩三昧(ざんまい)をするやからも、確かにおる。躬はそのような裏表がないだけのことじゃ」
上使二人は、衝撃のあまり言葉も出ない。
Posted by 渋柿 at 12:42 | Comments(0)