2009年01月21日

「尾張享元絵巻」15

 有馬兵庫頭氏倫(うじのり)と加納遠江守久通(ひさみち)。どちらも将軍吉宗の腹心の側近、御用取次の役にある。吉宗が紀州藩主であった頃からの股肱(ここう)の臣であった。
「躬は、将軍家に喧嘩を売った。勝てぬ喧嘩じゃが、後には引かぬ。ただ、この尾張藩だけは潰すわけにはいかぬ」
「私に・・」
(獅子(しし)身中(しんちゅう)の虫となれと)
「そうじゃ」
 竹腰は、しばし瞑目した。水仙の香りを聞く。そして、畳の上の碗を取り上げ、ゆっくりと啜(すす)った。懐紙(かいし)で碗口を拭き、
「結構な服加減で」と礼をした。
 付家老とは幕府から派遣された目付け役という性格も持つ。宗春と吉宗の確執が限界を超えたときには、主君より幕府の側に立たねばならぬ。竹腰は、どの道苦しい立場に立たされる。宗春は、先回りして竹腰に将軍と連絡を取れというのである。
(躬は意地を通す。しかし尾張徳川家を潰すわけにはいかない。ぎりぎりのところで自分をも裏切り、尾張家を守れ)
 宗春の心中を、茶を服する間に竹腰はしっかりと汲んだ。
「もし、躬に毒を盛れというご内意があれば、毒薬は直接躬に渡せ。躬の手で碗にしこむ。罪なき鬼役(毒見役)の命まで巻き添えにしては哀れゆえのう」
「殿・・」
「いざとなればそちが幕を引く、さすれば躬は安んじて喧嘩ができるというものよ」
 宗春は竹腰の服し終わった筒茶碗をすすいで建水(けんすい)にあけた。
 炉の釜に水差しの水を注し松風の音を鎮める。
 碗を茶巾(ちゃきん)で拭い、自服のための薄茶を点て始めた。



Posted by 渋柿 at 12:34 | Comments(0)
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