2009年01月15日

腰岳の黒曜石の名を全国区に

【去年の佐賀新聞寄稿です】
「平沢(ひらぞう)良(ら)遺跡」伊万里市二里町川東 昭和40年代の土地開発で消滅
腰岳の黒曜石の名を全国区に

 昭和36年、佐賀県や伊万里市の協力を受けた明治大学考古学研究室の杉原荘介教授らは、伊万里市の腰岳北西山麓で、旧石器遺跡の発掘調査を行いました。
 腰岳の黒曜石は不純物が少なく、石端に衝撃を加えるとよく切れる刃物に似た剥片ができます。この発掘で剥片を剥がし取った痕跡を持つ石核が多数と、石(せき)匙(ひ)・石刃(せきじん)・石(せき)槍(そう)・鏃(やじり)包丁などの約200個の旧石器が出土し、石器製作工場の存在を示唆するものとされました。
 杉原教授により、発掘場所は「平沢(ひらぞう)良(ら)遺跡」、特徴的な出土石核は「平沢良型石核」と命名されました。こうして伊万里・腰岳」の名前は旧石器遺跡として、「約1~2万年前の九州における最も古い人間の文化の一つが分った」という杉原教授の談話と共に全国区となったのです。
 日本における旧石器時代は、長い間その存在すら疑問視されてました。昭和21年、無名の青年相沢忠弘さんの群馬県岩宿での発見により研究の固い扉は開かれます。相沢青年から連絡を受けて発掘に当たったのも杉原教授ら明治大学考古学研究室でした。翌々年日本の旧石器の存在が確認され、岩宿遺跡は今も保存されて、出土品は岩宿博物館に展示されています。
 発掘から半世紀の時が流れました。有田川畔国道202号線と松浦鉄道が交差する地点のはずの「平沢良遺跡」は、近接する古墳時代の遺跡「椋露寺古墳」と共に、昭和40年代の土地開発により消滅しました。出土品の一部は伊万里歴史民俗資料館に収蔵されていますが、現在地図を頼りに訪れても、古代の人々の生活は腰岳の山容に偲ぶしかないのが残念です。



Posted by 渋柿 at 11:00 | Comments(2)
この記事へのコメント
黒曜石は九州では、この腰岳と
大分の姫島だけでしか取れませんよね。
私の実家は、吉野ヶ里遺跡よりちょっと東の
瀬ノ尾遺跡(昔はただ、畑があるだけ)の近くにあるのですが
小学生の頃は、よく、畑に行ってこの黒曜石を拾っていました。
たぶん、腰岳産の黒曜石でしょうね。
懐かしいです。
Posted by 黒毛和牛の怪人 at 2009年01月15日 11:20
コメント、ありがとうございます。
不純物が少なく、鋭利な刃物ができる腰岳の黒曜石、東北から朝鮮半島まで輸出されていたという説に頷きたい・・歴史小説を書いている伊万里在住素人です。
(^◇^;>
Posted by 渋柿渋柿 at 2009年01月15日 11:42
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