2013年12月30日
初夏の落葉2
京治師匠も驚いたが、左京もびっくりした。
(ガンバレ・・じゃねえか。冗談じゃない)
相変わらず、無茶振りしやがる。俺の葬式だ、本格本寸法の古典に決まってるだろ。
鯰まつりは、三年前の大の月、十月末日に催された豊島の余一会。夕顔は夕顔でも実に干瓢が採れる方じゃない。生のにゃあ毒がある瓢箪だ。何をとち狂ったかこの七十過ぎた瓢箪鯰、持ちネタを純正古典派に物まねさせるという素っ頓狂を企んだ。
そのネタも「歌は世につれ」といい、歌って踊って世間を風刺するアブナい新作だった。これで夕顔亭鯰は、最初の師匠から破門まで喰らっている。
鯰は飲み仲間、しょうがないか。酔った勢いで一旦引き受けはしたものの、その酔いは次第に迷走し、無性に腹が立ってきた。
アブナいのはいい。権威権力に楯突くのも、落語のきまり蹴飛ばすのも、その結果この世界でずっと冷や飯喰い続けてるのも、肚括ってやってる事だろう。気に食わないのは題だ。じゃ世間てのは、歌に連れられる程軟弱か?鯰は太平洋戦争知ってるんだろうがこっちだって団塊世代、学生運動、催涙弾、西口広場、反戦歌を襲う機動隊・・歌声の挫折、無力感は、厭という程身に染みてるんだ。
当時は七十年安保、学生たちの政治の季節。落研から、学生運動の渦とその挫折を見ていた。侍の首が宙に飛ぶ「たがや」・・落語は反骨の精神を秘めている。だから一層、落語にのめり込んだのだろう。
お互い、酒癖はよろしくない。散々やり合った挙句、強引にネタを「ガンバレ」と変えさせ、当日の噺もそれで通した。
「そりゃもう、物マネなんてもんじゃない。あたしよりうまかった。・・客はあたしのマニアックなファンばっかでしょ、比べてましたよ。鯰がやればただの奇天烈だけど、左京がやりゃ立派な落語だねってねえ」
「腹ぁ、立ちましたかい」
「いいえ。立てたんなら、自分までネタぁガンバレって変えません・・これからこの世界引っ張ってくのは、西は桂小夢、東じゃあこいつだと思ってました」
(小夢さん・・か)
もう、随分逢っていない。
上方落語の柳小夢と出逢ったのは、フォークで盛り上がる西口広場の反戦落語会。活きのいい噺家が、引き摺られながらサゲまで演らせろと嘯いていた。機動隊に突き飛ばされたその駆け出しを、大丈夫ですかと抱き起した。
「兄ちゃん、学生か」
おおきに、と膝を払いながら駆け出しは左京を見た。ドスの効いた顔をしていた。
「落研です」
「ネタ、今なんぼ?」
「七十くらい」
「わてより多いがな」
十五で入門やけど五年ちょっとでまだ三十しか上げてへん、と頭を搔く。
「じゃあ、あなたまだ・・齢は」
いかつい容貌もある。プロというから駆け出しでも自分よりかなり年上だと思っていた。
「おお、今年二十歳」
「昭和二十四年生まれですか」
「そや」
「僕と同じだ」
千切れたビラが風に舞う新宿西口から、駅を抜けて東口、更に赤提灯の路地裏を歩いた。
そろそろ暖簾が出る時刻になっている。
「お近づき、どや」
小夢が縄暖簾に顎をしゃくった。
「僕、酒は・・」
親父が、兎に角やかましい。
「何やぁ、二十歳にもなって・・俺の酒、飲めんちゅうのか」
「いえ、そういう訳じゃあ」
恥を忍び、今迄酒を口にしたことがないと告白した。何やてぇ今日び、高校生どころか中学生でも湯豆腐で一杯やっとるで、小夢は大笑いする。
「江戸の三遊亭ちゅう名門は、飲む・打つ・買うの三道楽のこっちゃろが。花のお江戸の落研さんが、酒の一つも飲めんでどないするんや」
「はあ・・」
客はまだ自分達ばかり、小汚い居酒屋。小夢はお銚子と焼き鳥・ポテトサラダに鯖の味噌煮を注文した。
さあ、と注がれた盃を干す。苦い。
「今日の事もいつか笑い飛ばしてやるんや」
落語ちゅうなあなんでもかんでも笑い飛ばすんが身上なんや、小夢は不敵に笑った。
「悔しくないんですか、落語途中で止められて」
「そりゃ悔しいがな、サゲまで演じてなんぼの落語や」
そやけどな、と小夢は杯を干し、さあとまた左京にも注いだ。
「この世の中になあ、大の男が情けのう慌てる様な事は、何にもない。手前が死ぬときかて、笑って死ぬだけのこっちゃ」
実際に死ぬとなりゃそんな簡単な話じゃあ済まなかったけど・・その時は青臭い大言壮語が、とてつもなくカッコよく思えた。
(ガンバレ・・じゃねえか。冗談じゃない)
相変わらず、無茶振りしやがる。俺の葬式だ、本格本寸法の古典に決まってるだろ。
鯰まつりは、三年前の大の月、十月末日に催された豊島の余一会。夕顔は夕顔でも実に干瓢が採れる方じゃない。生のにゃあ毒がある瓢箪だ。何をとち狂ったかこの七十過ぎた瓢箪鯰、持ちネタを純正古典派に物まねさせるという素っ頓狂を企んだ。
そのネタも「歌は世につれ」といい、歌って踊って世間を風刺するアブナい新作だった。これで夕顔亭鯰は、最初の師匠から破門まで喰らっている。
鯰は飲み仲間、しょうがないか。酔った勢いで一旦引き受けはしたものの、その酔いは次第に迷走し、無性に腹が立ってきた。
アブナいのはいい。権威権力に楯突くのも、落語のきまり蹴飛ばすのも、その結果この世界でずっと冷や飯喰い続けてるのも、肚括ってやってる事だろう。気に食わないのは題だ。じゃ世間てのは、歌に連れられる程軟弱か?鯰は太平洋戦争知ってるんだろうがこっちだって団塊世代、学生運動、催涙弾、西口広場、反戦歌を襲う機動隊・・歌声の挫折、無力感は、厭という程身に染みてるんだ。
当時は七十年安保、学生たちの政治の季節。落研から、学生運動の渦とその挫折を見ていた。侍の首が宙に飛ぶ「たがや」・・落語は反骨の精神を秘めている。だから一層、落語にのめり込んだのだろう。
お互い、酒癖はよろしくない。散々やり合った挙句、強引にネタを「ガンバレ」と変えさせ、当日の噺もそれで通した。
「そりゃもう、物マネなんてもんじゃない。あたしよりうまかった。・・客はあたしのマニアックなファンばっかでしょ、比べてましたよ。鯰がやればただの奇天烈だけど、左京がやりゃ立派な落語だねってねえ」
「腹ぁ、立ちましたかい」
「いいえ。立てたんなら、自分までネタぁガンバレって変えません・・これからこの世界引っ張ってくのは、西は桂小夢、東じゃあこいつだと思ってました」
(小夢さん・・か)
もう、随分逢っていない。
上方落語の柳小夢と出逢ったのは、フォークで盛り上がる西口広場の反戦落語会。活きのいい噺家が、引き摺られながらサゲまで演らせろと嘯いていた。機動隊に突き飛ばされたその駆け出しを、大丈夫ですかと抱き起した。
「兄ちゃん、学生か」
おおきに、と膝を払いながら駆け出しは左京を見た。ドスの効いた顔をしていた。
「落研です」
「ネタ、今なんぼ?」
「七十くらい」
「わてより多いがな」
十五で入門やけど五年ちょっとでまだ三十しか上げてへん、と頭を搔く。
「じゃあ、あなたまだ・・齢は」
いかつい容貌もある。プロというから駆け出しでも自分よりかなり年上だと思っていた。
「おお、今年二十歳」
「昭和二十四年生まれですか」
「そや」
「僕と同じだ」
千切れたビラが風に舞う新宿西口から、駅を抜けて東口、更に赤提灯の路地裏を歩いた。
そろそろ暖簾が出る時刻になっている。
「お近づき、どや」
小夢が縄暖簾に顎をしゃくった。
「僕、酒は・・」
親父が、兎に角やかましい。
「何やぁ、二十歳にもなって・・俺の酒、飲めんちゅうのか」
「いえ、そういう訳じゃあ」
恥を忍び、今迄酒を口にしたことがないと告白した。何やてぇ今日び、高校生どころか中学生でも湯豆腐で一杯やっとるで、小夢は大笑いする。
「江戸の三遊亭ちゅう名門は、飲む・打つ・買うの三道楽のこっちゃろが。花のお江戸の落研さんが、酒の一つも飲めんでどないするんや」
「はあ・・」
客はまだ自分達ばかり、小汚い居酒屋。小夢はお銚子と焼き鳥・ポテトサラダに鯖の味噌煮を注文した。
さあ、と注がれた盃を干す。苦い。
「今日の事もいつか笑い飛ばしてやるんや」
落語ちゅうなあなんでもかんでも笑い飛ばすんが身上なんや、小夢は不敵に笑った。
「悔しくないんですか、落語途中で止められて」
「そりゃ悔しいがな、サゲまで演じてなんぼの落語や」
そやけどな、と小夢は杯を干し、さあとまた左京にも注いだ。
「この世の中になあ、大の男が情けのう慌てる様な事は、何にもない。手前が死ぬときかて、笑って死ぬだけのこっちゃ」
実際に死ぬとなりゃそんな簡単な話じゃあ済まなかったけど・・その時は青臭い大言壮語が、とてつもなくカッコよく思えた。
Posted by 渋柿 at 12:10 | Comments(0)