2008年10月23日

吉田松陰が・・

 司馬江漢が、伊能忠敬が通った道。
 伊万里宿から伸びる平戸街道が有田街道と分岐する、川東宿。
 有田川西岸から川東橋と腰岳を望む。
  萩藩の養家の山鹿流軍学を継いだ松陰は、平戸藩に仕える素行の裔に教えを乞うために、江漢は漂泊の旅、忠敬は測量のためにこの橋(むろん何代も前)を渡った。
 アメリカ大統領を務めたグラントも渡る筈だったが、諸般の事情でここには来ていない。

 川東宿には、大石内蔵助の遺児と称したという大石良知の墓がある。
この世ではあうことのかなわなかった父が師事した山鹿素行所縁の人を平戸に訪ねた帰り、病を得て亡くなったと伝説は語る。




Posted by 渋柿 at 05:58 | Comments(4)
この記事へのコメント
おはようございます。
大変勉強になります。

かの松陰がこの地を・・・
すごいですね。わくわくします。

五足の靴も、近所で知ってはいたのですが、
何かのおまじないか、語呂合わせ?かと思ってました。

もやもやが解けた気持ちです。
これからも楽しみです。
Posted by いすいいすい at 2008年10月23日 09:48
ありがとうございます。
今までできたこと、写真をUPしようとしてどうしてもできなかったアナログ世代です。
(T◇T;
なんで今回にかぎって・・・



サボりすぎて、ブログもサボタージュ?
Posted by 渋柿 at 2008年10月23日 11:06
以前、吉田松陰の足跡をたどって、平戸まで行かれた方からなみログに書き込みをもらいました。山鹿流軍学というのは無知でまったくしらないのですが、松浦、平戸あたりは、あまりなじみがありませんが、歴史的には興味深い土地ですよね。

日本は海に囲まれているので、海沿いの文化や歴史に、もっと関心を持つべきだと思ったりします。宮本常一の著作を読むと面白いですもんね。
Posted by nami-hnami-h at 2008年10月28日 17:44
司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」や「街道をゆく・肥前の諸道」で松蔭の平戸訪問のことが取り上げられていました。通過地点にすぎぬ伊万里に眼は向けられないのは「五足の靴」と一緒ですが。
Posted by 渋柿渋柿 at 2008年11月04日 07:07
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