2010年04月13日

三度目の最終選考でした

森村誠一選考委員長
 芹艾談義が禅問答のようで、どちらが仕掛けているのか、分かりにくい。『三国志』の有名な場面を題材に、定説を覆そうとしているわけで大変勇気がある。しかも、自分の世界を築いており、それだけの筆力があることは分かる。
【3月23日佐賀新聞紙面より】
 
 落選ながらありがたい言葉でした。


【あらすじ】
 中国三国時代、魏の黄初六年(二二五)洛陽。亡父から先祖は後漢の功臣鄧禹と聞かされていた吃音の青年鄧艾は、漢を裏切って魏の簒奪に手を貸したとして、司徒の王朗を襲うが、王朗の「社稷を重しと為し、君を軽しとなす」という説明に納得し、王朗の暗殺を思いとどまる。王朗は鄧艾を魏の実力者司馬懿に推挙し、内々嫁娶の世話をする。その上司の娘雛帰との婚礼の夜、新郎新婦は互いの名がよもぎと山芹に因んでいることを知る。

青龍二年(二三四)鄧艾は五丈原で蜀の諸葛孔明と対峙した司馬懿の許に従軍し、蜀陣の兵糧事情を探りに出て捉えられて病み衰えた孔明の姿を見る。孔明は配下の将姜維に一旦鄧艾を切れと命じるが、深夜鄧艾を連れて陣を離れた姜維は、「孔明の命令だ」と鄧艾を開放する。司馬懿は最初、孔明が重病だという鄧艾の復命を軽んずるが、硬直した対峙が続くうちに信じるようになる。鄧艾は、戦いの虚しさを思い、自分の出来ることを模索する。硬直状態の中で孔明の側から女性の衣装が贈られ、守りを固めるだけで討って出ぬ司馬懿を暗に侮辱して出撃させようとするが、蜀側の焦りを思い司馬懿は受け流す。

孔明が重態となったとき、司馬懿に自分の進言を容れられた鄧艾が使者として密かに現われ、一束の山芹を差し出す。山芹の乾燥した根は当帰と呼ばれ、女性の血の道の薬である。姜維は、司馬懿が次元の低い報復をしたと思うが、孔明は当帰に込められた「当(まさ)に帰るべし」という寓意を理解し、蜀への撤退を決める。孔明の死の直後、引揚げる蜀軍を、鄧艾の勧め通り司馬懿は殆んど追撃せず、不名誉な世評を甘受する。

洛陽に帰還した鄧艾は、休日、妻子と城外で薬狩りを楽しむ。司馬懿の次男司馬昭は、王朗の孫娘である妻の元姫に、鄧艾がこれから父により耕地拡大、国力回復のための農政官として起用されることを告げる。



Posted by 渋柿 at 17:52 | Comments(0)
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