2010年01月19日

「続伏見桃片伊万里」【最終回】

 軽く押し頂いて柞灰釉を懐に仕舞う。
「お光さんを見てて思ったよ」
「何を?」
「生きるってことは、こうやって毎日柞櫛をみがくことなのかもしれないな」
「ああ」
 全く、その通りだと思った。
 医者は患者を診、漁師はすなどり、百姓は大地を耕す。
 人は皆、己の仕事を倦まず弛まず日々やっていくしか道はないのかもしれない。
「や、しまった。これ、播磨屋さんに返しそびれちまったが、まあ、いいか」
 隼人は、瓢を取りあげた。
 播磨屋から借りて、お光に最後に三十六峰を飲ませた瓢であった。
 中はもう空である。
 送り火は細る。
 すぐ近くの先斗町辺り、色町の糸竹はまだ賑っている。
 闇の中でも、東山は櫛に流れる漆黒の東山の稜線を横たえている筈。
「船、か?」
「いや、肥前まで陸路を行く。備中・足守の墓にも参りたいんでな」
「そうか」

 更に盛り上がる先斗町の響みであった。
 隼人は瓢をかざす。
「圭吾、受けてくれ。銘酒三十六峰、気持だけ」
 栓を抜く。
「別杯か?」
「ああ」
 圭吾も手に柞櫛を構え、架空の盃を持った。
 虚に酒を汲み交わし、干しあう。
(酒は、本当はこんな風にこそ、飲むべきものなんだろうな)

 医道専心のこの青年医師たちが、時代の大渦にまともに巻き込まれるのは、もう少し先のこととなる。





Posted by 渋柿 at 16:40 | Comments(0)
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