2010年01月10日
「続伏見桃片伊万里」19
隼人が用心して飲ませたので、お光は何とか自分の足で舟を下り、圭吾の家まで歩いた。
隼人は母屋を避け、まず、離れにお光を連れていった。
帰りが深更になるのはわかっていたので、妻のお登世には宵のうちに戸締り消灯して寝ているようにいっておいたという。
灯を入れ、既に敷いてある布団に寝かせる。
「ここ三月ばかりは、患者にこの部屋使わずにすんでいたでな」
手習いの草子を乗せた小さな文机を、隅に片付けながら隼人がいった。
草子をめくると、
「天地玄黄」
などの千字文とともに、たどたどしいオランダ文字も手習いされている。
「ここでお千代と慎一郎の手習いをしてるんだ」
「お千代ちゃんにもオランダ語を?」
「最初は『いろは』んついでに慎一郎に教えてたんだが、お千代も面白がって、な」
「紫女の漢籍みたいな話だな」
「ああ、やっぱ年上だし、お千代のほうが覚えは早いよ。ひょっとしたら、志本イネさんみたいになるかもしれんぞ」
(志本イネ!高野長英や二宮敬作を育てたシーボルト先生の娘さん・・)
日本最初の女医である。
目の前の友は、娘にそんな夢すら抱く、立派な親馬鹿となっていた。
その親馬鹿が、どたりと座り込んで、大きく息を吐く。
「済まんな、大変なこと持ち込んじまって」
「いや、大枚五〇両の請負じゃ、有難い」
明日お光が目覚めてからの地獄絵図の見当はつく。
その言葉は額面では受取れない。
「高瀬舟の上り下り、疲れておる所をこちらこそ済まんが、ちょっと手を貸せ」
隼人は押入から、何やら大きなものを取り出しながらいった。
「格子か!」
かなり太い材木で組まれている。
一枚には出入りするための鈎のある戸が付いていた。
「そうだ、格子。四方をかこんで組立りゃ二畳の広さで、天井と隙間もない高ささ。豊太閤の黄金の茶室も 二畳間の組立だったそうだが、こっちは座敷牢・・侘び寂びもへったくれもないしろもんだな」
「やはり、これがいるか」
組立てながら、不覚にも圭吾は涙ぐんだ。
「ああ、見たところ胃の腑も肝の臓もかなりまいちゃあいるがな、まだ若いだろ、いざとなったら自傷他害のおそれは多いぞ。生きて娑婆に戻ってもらうためにゃ、今はこれがいる」
お光の布団の廻り四隅に格子を立て、臍を臍穴に嵌め込み、麻縄できつく縛る。
傷つくものを保護する、檻。お光は眠り続けている。
隼人は髷の根を解いた。
本当は、髷をつるのは体に負担なのだ。
本格的に病臥させるときの当然の処置。解いた髪をそっと柔らかく梳く隼人の手。その櫛に、見覚えがあった。
まだ艶を失っていないお光の髪が、肩から枕、東山の連なりのようにこぼれていった。
隼人は母屋を避け、まず、離れにお光を連れていった。
帰りが深更になるのはわかっていたので、妻のお登世には宵のうちに戸締り消灯して寝ているようにいっておいたという。
灯を入れ、既に敷いてある布団に寝かせる。
「ここ三月ばかりは、患者にこの部屋使わずにすんでいたでな」
手習いの草子を乗せた小さな文机を、隅に片付けながら隼人がいった。
草子をめくると、
「天地玄黄」
などの千字文とともに、たどたどしいオランダ文字も手習いされている。
「ここでお千代と慎一郎の手習いをしてるんだ」
「お千代ちゃんにもオランダ語を?」
「最初は『いろは』んついでに慎一郎に教えてたんだが、お千代も面白がって、な」
「紫女の漢籍みたいな話だな」
「ああ、やっぱ年上だし、お千代のほうが覚えは早いよ。ひょっとしたら、志本イネさんみたいになるかもしれんぞ」
(志本イネ!高野長英や二宮敬作を育てたシーボルト先生の娘さん・・)
日本最初の女医である。
目の前の友は、娘にそんな夢すら抱く、立派な親馬鹿となっていた。
その親馬鹿が、どたりと座り込んで、大きく息を吐く。
「済まんな、大変なこと持ち込んじまって」
「いや、大枚五〇両の請負じゃ、有難い」
明日お光が目覚めてからの地獄絵図の見当はつく。
その言葉は額面では受取れない。
「高瀬舟の上り下り、疲れておる所をこちらこそ済まんが、ちょっと手を貸せ」
隼人は押入から、何やら大きなものを取り出しながらいった。
「格子か!」
かなり太い材木で組まれている。
一枚には出入りするための鈎のある戸が付いていた。
「そうだ、格子。四方をかこんで組立りゃ二畳の広さで、天井と隙間もない高ささ。豊太閤の黄金の茶室も 二畳間の組立だったそうだが、こっちは座敷牢・・侘び寂びもへったくれもないしろもんだな」
「やはり、これがいるか」
組立てながら、不覚にも圭吾は涙ぐんだ。
「ああ、見たところ胃の腑も肝の臓もかなりまいちゃあいるがな、まだ若いだろ、いざとなったら自傷他害のおそれは多いぞ。生きて娑婆に戻ってもらうためにゃ、今はこれがいる」
お光の布団の廻り四隅に格子を立て、臍を臍穴に嵌め込み、麻縄できつく縛る。
傷つくものを保護する、檻。お光は眠り続けている。
隼人は髷の根を解いた。
本当は、髷をつるのは体に負担なのだ。
本格的に病臥させるときの当然の処置。解いた髪をそっと柔らかく梳く隼人の手。その櫛に、見覚えがあった。
まだ艶を失っていないお光の髪が、肩から枕、東山の連なりのようにこぼれていった。
Posted by 渋柿 at 19:23 | Comments(0)