2009年12月30日

「続伏見桃片伊万里」6

「ようご存知ですなぁ。確かに葉に虫瘤んできる雑木で、見てくれはようおへんなあ。せよって柞櫛は柘植よりずっとお安うお分け出来るんで、うちとこみたいな店は柞櫛置いとりま。せやけど柞いうたら・・遣込んで出る艶は柘植に叶いままへんけど、しっかり堅うて京では柘植より昔から櫛作ってたんどす。東山ん柞櫛て、千年昔の延喜式たらいうお定め書でも、宮中や神事で使うんは柞櫛てきまってたていいますえ」
「そういえば、千年といわず、神代の頃かららしいの。筑前あたりでは、柞櫛が土より出てくるそうな。・・それにしても柞とはまた、なつかしい木の名を聞くものじゃ」
「なつかしいて・・」
「柞灰―柞の木を焼いた灰をの、わが在所では極上の釉にしておる」
 染物を鮮やかな紫に仕上げる触媒は、椿灰に限るという。
 同様に、染付けの仕上げの釉は灰釉、それも極上品なら柞灰釉を用いる。
 江戸初期から染付磁器の技法が発達した肥前有田・伊万里では柞は特別な木であった。
 だがそれゆえにこそ、里の山々の雑木林から、柞が取り尽くされた。
 古木は神社仏閣等、信仰の聖域にしか残っておらず、今は遠く日向から柞灰を移入している。 
 ただ、近頃名のある窯元のたちは「自分の代にはまだ使えんやろうけど、孫・子のために」と柞を植え始めてはいる。そのゆかりで圭吾はこの柞に馴染みがあった。
「ご無礼どすけど、在所て、どちら?」
 お光が、訊いた。
「肥前・伊万里。私は焼物屋の三男さ。柞の灰をとって釉にする手間は、身近に見て育ってな。ひょんなことから医者になって廻り廻り、今京の南禅寺堂町で人妻に送る柞櫛を誂えておる」
 常になく、圭吾は軽口をいった。いわずにはいられなかった。
 先ほどから微かに、酒の香りがする。
 確かに、お光の息であった。
 おそらくはあの、銘酒・三十六峰か。
(無理もない、まだ幼い息子と、また生き別れじゃものなあ)
 お光は、柞櫛を裂(きれ)の袋に入れて、渡した。
「お代は、失礼どすけど、この次また正吉かお筆が風邪引きますやろ、どうかそんときの薬礼ちゅうことで」
 と、櫛代はとうとう受取らなかった。



Posted by 渋柿 at 23:54 | Comments(0)
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