2009年12月30日

「続伏見桃片伊万里」5

「いえ、あの子、もう居らしまへん・・疱瘡やなかったし、熱も下がったんで、五条のご本宅にもどされました。・・うち、妾なんどす」
 返事に困った。
「お子と一緒にお暮らしではなかったのか」
「あの子、正吉と申しますんですけど―播磨屋さんのあととりで、乳離れしてからご本宅のお店さまに引き取って育てていただいとります」
(だから、息子が来た時だけはひとつ布団で寝ておるのか)
「まあよう出来たお店さまで、うちにもいろいろきいかけてくだはりますし、ちょいちょい子ぉの顔もみせてくだはりますんですけど。ほんまぁはあの日、お店に戻る筈で」
赤子の声がした。
今日は泣き声ではなく、機嫌のよい喃語らしい。
母親は襖をあけ、布団から抱き上げてきた。
「うーういー、んーほーほー」
 声を聞くだけでも、元気な赤子であることがわかる。
目鼻立ちは母親によく似ていた。
そのつぶらな目で、圭吾を見てにこっと笑った。
「それでこのお子も乳離れすれば・・」
「へえ、お筆と、これもだんさんが名あ付けてくれはらまして。あ、うち光いいます。日蔭のうちが育てたら、縁付くとき困りますよって、お店さまにお願いすることに・・。いつまでも一緒にはおられまへんで」
「寂しいことでござるな」
「・・気ぃまぎれるやろって、小間物屋、させてもろとるんどす。あんまりお客はあらしまへんけど」
 お光、と名乗った母親は、名はお筆という赤子を、部屋の布団に戻した。
お筆は泣きもせず、笑顔のままである。
「その櫛を、貰いたいのだが」
 圭吾は手拭やちり紙の脇に、五つ六つほど並べてある女櫛を指差した。
「へえ、せんせが、櫛?」
「いや、何、知人の内儀に、の」
「人のお内儀」
「足掛け三年、同じ釜の飯を食った医者仲間の内儀で、な。こちらは一人身、再々ご造作になっておる」
「うちには上等のんは置いてまけんけど」
「これは、柘植かな?」
 一つを手に取った。
「柘植とよおう似てて間違われるんどすけど・・ご存知やろか、柞(いす)なんどす、それ」
「柞?雑木の?あの虫瘤が出来る、吹くと音がする瓢(ひょん)の笛の?」



Posted by 渋柿 at 06:47 | Comments(0)
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