2009年12月28日

「続伏見桃片伊万里」4

 駕籠に乗ろうとして、圭吾ははじめて木犀の香に気付いた。
 戸口に一本、かなり大きな木が生えていた。やはり緊張していたらしい。

 三日ほど後、圭吾は草川町の寄宿からあの南禅寺堂町の小間物屋へ出かけた。
 多分、病児も回復していようが、風邪は万一の余病が怖い。
(三両も薬礼があったゆえではないが・・)
 あの日、師に奉書包みを見せると、師はこともなく
「もろとけ。天下の播磨屋の所縁や、罰はあたらん」
という。
 寺の築地塀が続く。
 南禅寺の正面を過ぎると辺りは仕舞屋と、まばらな寺参り目当ての花・線香を売る小店ばかりとなった。
 さらに路地をいくつか入った塔頭近くになると、尚のこと静かである。
 ここは南禅寺山の麓、見上げれば三十六峰全山一続きの見事な紅葉で、築地塀越に見える寺々のもみじも、少し色を深めている。
 そういえば、南禅寺境内は洛中屈指の紅葉の名所であった。
(ここで、小間物を売っても、そう、儲けはなかろうが)
 母親は、往診を依頼した五条の大店・呉服問屋播磨屋の主を
「だんさん」
 と呼んだ。
 師の言葉の調子といい、あの紅い布団といい、
(たぶん、あそこは播磨屋の妾宅)
 いくら世間知らずの若者でも、見当はつく。
 小間物屋は、今日は開いていた。しかし、狭い店内、人の気配はなかった。
(留守か)
 それでも一応声をかける。
「ごめん」
 返事はない。
 閉めた障子の向こう、人の気配は伺えない。店脇の木犀は、まだ濃い匂いを放っている。
 ややあって、
(こそ)
 と階段を踏む音がした。
 女あるじは二階にいたらしい。
「おいでなされませ」
 紺木綿の縞小袖、色目はこの前より濃い。すぐ、圭吾の医者髷に気付いた。
「先日は、どうもありがとうさんで」
「坊やの具合はどうかな、熱が下がらなんだり、ひどく喉をいたがったりしておらぬか」
「へえ、もうすっかり・・」
「それはよかった。じゃが、折角来た、見せてもらおうかの」
 過分な薬礼のこともある。



Posted by 渋柿 at 12:35 | Comments(0)
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