2009年12月26日

「続伏見桃片伊万里」2

 一間きりの店は、常わずかな小間物を商っている様子、ちり紙や櫛、それに線香・蝋燭などが見て取れた。
(あまり、はやる店ではなさそうじゃな)
 まずは、患者である。
 五つばかりの男児が、店の隣の六畳に寝かされていた。
 ギョっとした。
 布団の、厚い綿を覆っているのは眼を刺すような紅いきれだった。
「あての、布団で」
 母親が恥ずかしそうにいった。
「一緒に、寝てますねん」
「さようか」
 布団の色に拘っている場合ではない。
 かなり熱が高いらしい。
 顔を真っ赤に上気させて、喘いでいた。
 苦しげに伸ばした腕、めくれた袖から、確かに発赤のようなものが見える。
(疱瘡、か・・?)
 圭吾は息を調え、気を静めて脈を取る。
「大丈夫じゃ、これは疱瘡ではない」
 慎重に診た。
 はだけさせた寝巻きの前を合わせ、圭吾はそういった。
「疱瘡や、おへんどしたか」
 さすがに安堵した様に、母親は息を吐いた。
 淡い藍の地に濃紺の縞の小袖は木綿ながら上物、それに幅の狭い博多の帯を締め、髪の飾りも金がかかっているよう、何所か寂しい顔立ちだった。
 歳は・・
(二十六、七、私より僅か上か・・)
 昔から
「麻疹・疱瘡は器量定め、運定め」
 という。
 疱瘡とは今でいう天然痘のことである。
 予防のための種痘を日本に初めて伝えたのはシーボルトだともロシアから帰還した漂流者だったともいう。
 記録に残る嚆矢は圭吾の郷里佐賀の藩主が、世子に施した十五年ほど前の記録であり、また師、緒方洪庵が大阪に種痘所を開いたのは、十年前の嘉永二年である。
 蘭方医だけでなく、ぼつぼつ、吾が子に種痘をする人も出始めてはいる。
 だが、一般普及という面では皆無に近い。



Posted by 渋柿 at 12:37 | Comments(0)
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