2009年12月25日

「続伏見桃片伊万里」1

 東山三十六峰という。千年の古都・京の東、なだらかな稜線を見せ、洛中の盛衰を見つめてきた峰々が連なる。
 北の比叡の嶺に始まる。主峰には盆の
「大文字」
 の送り火で有名な如意ヶ岳がそびえる。
 洛中は山麓に南禅寺・高台寺・清水寺などの古寺名刹を抱いて、小峰がいくつも続いている。
 峰々の総計三十六、南端は伏見の稲荷山に尽きて、淀川に至る。
 山容は優しい。
 人口に膾炙する服部嵐雪の詠むところの

「ふとん着て寝たる姿や東山」

 そのままの姿、秋の陽が、傾きながら山腹を照らしている。
 峰々の連なりの中ほどにある、南禅寺山の麓、南禅寺堂町。
 その名の通り古刹南禅寺の、寺内町の一つである。
 本編の主人公、堀圭吾の日記によると、時は戊午の歳というから安政五年、幕府瓦解・明治維新まであと十年という頃のことということになる。

 三十六峰が錦秋にそまっている。
(いくら東山、いくら三十六峰といっても、これは―)
 隣町、南禅寺草川町から往診に来た医師・堀圭吾は困惑していた。
(昼間から、これは困る)
 師から、命じられた往診だった。
(しかも疱瘡らしい。注意する様に、か)
 師は、学者であると同時に、医者として経験も豊富であり、名医の誉は高い。だが六〇の坂を過ぎ、いささか体を弱めている。
「医者というものはな、えてして壮年の評判に慢心したまま老いるものじゃ。じゃがな、人を診るということは充実した気力と体力がなければ叶わん。むろん知識も経験も積んだ上のことではあるがな」
 近頃はそういって、求めれば助言や指導は惜しまなかったが、圭吾に診察をさせることも多い。
「はい、私は疱瘡は済ませております。して、患家はどちらで?」
「迎えの駕籠がすぐまいるそうな。南禅寺堂町、塔頭の永法院の裏と、のう。五条の播磨屋はんのお身内で、まあ播磨屋さんには日頃お世話になっておるのじゃが、そこから使いが来て、の」
「承知致しました」
 準備を整えて乗った町駕籠は、南禅寺塔頭の裏手、仕舞屋に毛が生えたような小商いの店に着いた。
さすがに、今日は病人が出て商売は休んでいる。



Posted by 渋柿 at 08:19 | Comments(0)
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