2009年12月11日

そんなバカな!(@□@;

 1980年代後半。國學院大學の樋口清之名誉教授は、千葉県船橋市から講演の依頼を受けました。

「剣聖宮本武蔵と船橋市法典とのゆかりを、史実に即して解説していただけませんか」

「そんなバカな!(@□@;」
 仰天した樋口先生。
 船橋市を訪れると、お寺には「当山に滞在した宮本武蔵ゆかりの品」の寺宝、道をきいたタバコ屋のオバちゃんは「この先の船橋法典はその昔宮本武蔵が開墾した法典が原といって、そのことを吉川英治先生も小説に書いています」

 樋口先生、ショックの余り座り込んでしまいました。

 今を去ること五十年前、まだ20代の駆け出し貧乏学者だった頃、樋口先生は大作家吉川英治から相談を受けました。

「朝日新聞に一年の予定で連載していた【宮本武蔵】を3~4年に伸ばすことになったので協力してほしい」
 それから、無理難題の連続でした。
 とうとう吉川先生は関が原より東へ行ったことがないはずの武蔵を、江戸に連れてきてしまいます。若僧の樋口君は辻褄あわせに奔走。

 それでも、
「習志野という地名は響きがいいから、ここに暫く武蔵を住まわせる」
 といわれたときには、さすがの樋口君もキレました。
「先生、いい加減にしてください。習志野は明治天皇が演習をして名付けたんです。武蔵の時代に習志野はありません(怒)」

 結局、習志野の近くの船橋法典を「採用」し、【宮本武蔵】の法典が原の開墾、野武士との死闘の名場面が描かれます。


「事情を知っている私がまだ生きているから、笑い話で済んだのですが・・」
 樋口先生の講演の思い出です。
「歴史と文学の関係って、どうなんでしょうねえ」
 ユーモラスな語り口に笑いの絶えなかった講演会場、聴衆も一瞬、静まり返りました。



Posted by 渋柿 at 15:20 | Comments(0)
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