2009年10月26日

「中行説の桑」102

「十四、五の頃から匈奴の民に成りすましてこちらに度々潜入しておりましたよ。もっともこの十年ばかりは大反乱とか皇太子選びのごたごたとかありまして漢の国内での仕事でしたがなあ。これには伊稚斜様より張騫様がびっくりなさいましてなあ。実は私は陛下から密かに張騫様に付けられた目付け役、張騫様はその時まで私を捕虜になって奴隷に売られた匈奴だと信じておられまして。まあ敵を欺くにはまず味方からというのが間謀の常ではございますが」
 前記したように、この時代の諸記録は匈奴の外見的特徴について何等記述していない。
 ただその衣装風俗を記すのみ、漢と匈奴の相貌に、特記すべき相違はなかったであろうと思われる。ゆえに甘父も、言葉と衣装を替えることで匈奴の交易人や捕虜奴隷に成りすますことが出来たわけである。
外見に相違が少なく、言葉さえできれば敵国人に成りすまし潜入潜伏することががさして困難でない。
 それだけに、漢と匈奴、相互の諜報活動が活発熾烈になったともいえよう。
「ともかく、双方泥酔の挙句わが主と伊稚斜様は意気投合なさいまして・・このように漠北に護送される際、中行証殿に土産も託された次第でございます」
「他の随行の方々は?」
「祁連山の麓で穀物を作ることになりました。まあ、少しは農耕も経験したことがあるものもおりましたが、下っ端とはいえ役人たち、ちゃんと穀物が作れるかちと心配ではございます。が・・しかたありませんなあ。命が助かっただけでもめっけものじゃ」
(この男、しらふでもよく喋る)
 中行証はあきれた。
(だが、どこまで本当のことをいっているのか・・判ったものではない)
 柔らかい笑顔で語ってはいるが、言葉が途切れたほんの一瞬、目に鋭いものが走る。
「それに主の張騫も私も、この漠北では敵の捕虜でございます。王庭近辺で多少の自由は許されておりますが・・夜更けてまで出歩いて酔っ払ってなどおりますと、私だけでなく主の首も飛びまする」
「はあ・・」
「主も私も、この獏北では寄る辺ない身の上でございます。これをご縁に、どうかお付き合いくださいませ」
 甘父は深々と頭を下げた。
「今度は張騫殿もお連れ下され。懐かしい漢の話なども伺いたい」
 娟が甘父に笑いかけた。
「漢が、懐かしい?」
 さすがに、今度は甘父がいぶかる。
「なあに、私も昔間諜でしてねえ。女間謀ですよ。三十何年も前のことではございますが・・代や燕にも、二度ほどは都の長安にも行ったことがあるのですよ」
 甘父は、あっけにとられて娟を見た。どこから見ても髪に白髪の多い、毛皮をまとった匈奴の姁(おうな)である。
「それは・・」
 絶句している。



Posted by 渋柿 at 13:47 | Comments(2)
この記事へのコメント
スパイ大作戦!
Posted by 昏君昏君 at 2009年10月26日 17:04
ちと調子に乗りすぎました(^^;
Posted by 渋柿渋柿 at 2009年10月26日 17:28
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