2009年10月22日
「中行説の桑」94
厩へ行くと、於単と伊稚斜の二王子はすでに待っていた。
「さあ、今日はお約束通り桑の木をお目にかけますぞ。実も熟れる頃ですしな」
十五歳の伊稚斜は勿論、それより後に生れた於単も証も、一通り馬に乗る。
二人は現在の単于の長子と末弟、叔父と甥の間柄であることは間違いはない。しかし匈奴の風習で、老上の寵妃であった伊稚斜の生母須卜氏も、今は軍臣の妻になっている。須卜氏は生母を失った於単をも養育していた。
互いの父と母が正真正銘の夫婦なのだ。
同じ母に養われているのだから、二王子は兄弟として共に育っている。
(単于も、それなり落ち着かれた)
姚娥を失った悲しみは軍臣の中で、消えることはあるまい。
それはそれとして、父の妻たちを一括して「娶り」それぞれに手厚い保護を加える中で、軍臣が己の穹廬に招きいれ、正后としたのは伊稚斜の生母であった。
(あの方なら、無理もないか)
亡き姚娥の美貌を上と見るか須卜氏の容色に軍配を上げるか、それは見るものの好みによろう。
ただ姚娥が漢から長城を越えて嫁いで来たとき、須卜氏は老上の寵愛を独占していた。老上があっさり軍臣に姚娥を譲ったのは、一つには須卜氏の嫉妬を憚ったからだと噂されている。
護衛二人を加えた六騎は、中行説と亡き姚娥が桑の種を播いた沢まで走った。
今や二間四方にまで桑畑は広がっている。
実生の苗と挿し木で増えた桑は程よく枝打ちされ、最初に芽生えた木は説の背丈の倍近くの高さにまで伸びている。
「さあ、今日学ぶ詩経はこれでございます」
かの日の姚娥のように馬鞭を執り「隰桑」の詩を書いた。
隰桑有阿、其葉有難、既見君子、其樂如何
隰桑有阿、其葉有沃、既見君子、云何不樂
隰桑有阿、其葉有幽、既見君子、徳音孔膠
心乎愛矣、遐不謂矣、中心藏之、何日忘之
「詩とは、このように四字の繰り返しで韻を踏みまする。韻は阿と矣、子と之で」
動詞や形容詞の表現に深みを加えるため、四言に一字を加えて詩を五言としたのは、数百年後の魏の曹操とも、その子曹植だともいう。春秋時代の詩を編んだ詩経に収められているのは、当然素朴な四言詩ばかりである。
「読めますかな?」
説は子供たちを見渡した。
「さあ、今日はお約束通り桑の木をお目にかけますぞ。実も熟れる頃ですしな」
十五歳の伊稚斜は勿論、それより後に生れた於単も証も、一通り馬に乗る。
二人は現在の単于の長子と末弟、叔父と甥の間柄であることは間違いはない。しかし匈奴の風習で、老上の寵妃であった伊稚斜の生母須卜氏も、今は軍臣の妻になっている。須卜氏は生母を失った於単をも養育していた。
互いの父と母が正真正銘の夫婦なのだ。
同じ母に養われているのだから、二王子は兄弟として共に育っている。
(単于も、それなり落ち着かれた)
姚娥を失った悲しみは軍臣の中で、消えることはあるまい。
それはそれとして、父の妻たちを一括して「娶り」それぞれに手厚い保護を加える中で、軍臣が己の穹廬に招きいれ、正后としたのは伊稚斜の生母であった。
(あの方なら、無理もないか)
亡き姚娥の美貌を上と見るか須卜氏の容色に軍配を上げるか、それは見るものの好みによろう。
ただ姚娥が漢から長城を越えて嫁いで来たとき、須卜氏は老上の寵愛を独占していた。老上があっさり軍臣に姚娥を譲ったのは、一つには須卜氏の嫉妬を憚ったからだと噂されている。
護衛二人を加えた六騎は、中行説と亡き姚娥が桑の種を播いた沢まで走った。
今や二間四方にまで桑畑は広がっている。
実生の苗と挿し木で増えた桑は程よく枝打ちされ、最初に芽生えた木は説の背丈の倍近くの高さにまで伸びている。
「さあ、今日学ぶ詩経はこれでございます」
かの日の姚娥のように馬鞭を執り「隰桑」の詩を書いた。
隰桑有阿、其葉有難、既見君子、其樂如何
隰桑有阿、其葉有沃、既見君子、云何不樂
隰桑有阿、其葉有幽、既見君子、徳音孔膠
心乎愛矣、遐不謂矣、中心藏之、何日忘之
「詩とは、このように四字の繰り返しで韻を踏みまする。韻は阿と矣、子と之で」
動詞や形容詞の表現に深みを加えるため、四言に一字を加えて詩を五言としたのは、数百年後の魏の曹操とも、その子曹植だともいう。春秋時代の詩を編んだ詩経に収められているのは、当然素朴な四言詩ばかりである。
「読めますかな?」
説は子供たちを見渡した。
Posted by 渋柿 at 07:08 | Comments(2)
この記事へのコメント
4言詩は安定感がありますよね。
Posted by 昏君
at 2009年10月22日 13:19

でもその安定に遅れる五言詩、詩人でありながら悪を装う曹操の不安定さに似てひかれます
Posted by 渋柿
at 2009年10月22日 17:36
