2009年10月21日
「中行説の桑」93
「蟷螂の斧の話ですね」
娟が傍らから声を掛けた。
「母さん、天下の勇士って?かまきりが?」
証は、娟に向き直った。
「そのうち、父さんが教えてくださいますよ。春秋の時代の斉の君主の話でね」
「何なら今、ざっと説明してやろうか」
わが子にそういいながら、二十年前に司馬喜が自分に語った言葉が、鮮やかに蘇る。
漠北に旅立つ直前、司馬喜に引き合わされたその息子の司馬談も、今は三十路に近い筈である。
(談殿もひょっとしたら、もう息子に学問の手ほどきを始められているかも知れんなあ)
「自分や子孫の力も弁えず、天地開闢から今に至る歴史を纏めて書き記そうなどと、戦車に斧振り上げるかまきりのような夢さ。もっとも史官というのは、いつもそんなもんだがな」
そう語った司馬喜殿は、まだ健在であろうか、と中行説はしばし遠い長城の向こうに思いを馳せた。
中行説は、息子に語った。
斉の莊公が蟷螂の斧を天下の勇士と讃えたこと、それから自分の力を無視して無茶なことに挑むものを、「蟷螂の斧」と呼ぶようになったこと。その莊公が家来の崔杼の妻にちょっかいを出して彼に殺されたこと。弑逆ののち一時斉の実権を握った崔杼が、事実を記載した史官を二人まで斬首しても、斉の史官たちは屈しなかったこと・・
「その、子供の頃のあなたに学問を授けてくださった方のお名前は?」
娟が聞いた。
「忘れるものか。司馬喜様とおっしゃった。私より一回り以上若いご子息も、史官にすると仰っていたが、どうしておられるかなあ」
長城を隔てた彼方の恩人である。年月も経った。今の中行説には知るすべはない。
腹ごしらえも済み、二王子の許へ出仕しようと証を促し、立ち上がった。
「行ってくる」
「お気をつけて。今頃あの辺りは毒蛇がでますから」
そういう時、娟は微かな媚を見せた。
娟が傍らから声を掛けた。
「母さん、天下の勇士って?かまきりが?」
証は、娟に向き直った。
「そのうち、父さんが教えてくださいますよ。春秋の時代の斉の君主の話でね」
「何なら今、ざっと説明してやろうか」
わが子にそういいながら、二十年前に司馬喜が自分に語った言葉が、鮮やかに蘇る。
漠北に旅立つ直前、司馬喜に引き合わされたその息子の司馬談も、今は三十路に近い筈である。
(談殿もひょっとしたら、もう息子に学問の手ほどきを始められているかも知れんなあ)
「自分や子孫の力も弁えず、天地開闢から今に至る歴史を纏めて書き記そうなどと、戦車に斧振り上げるかまきりのような夢さ。もっとも史官というのは、いつもそんなもんだがな」
そう語った司馬喜殿は、まだ健在であろうか、と中行説はしばし遠い長城の向こうに思いを馳せた。
中行説は、息子に語った。
斉の莊公が蟷螂の斧を天下の勇士と讃えたこと、それから自分の力を無視して無茶なことに挑むものを、「蟷螂の斧」と呼ぶようになったこと。その莊公が家来の崔杼の妻にちょっかいを出して彼に殺されたこと。弑逆ののち一時斉の実権を握った崔杼が、事実を記載した史官を二人まで斬首しても、斉の史官たちは屈しなかったこと・・
「その、子供の頃のあなたに学問を授けてくださった方のお名前は?」
娟が聞いた。
「忘れるものか。司馬喜様とおっしゃった。私より一回り以上若いご子息も、史官にすると仰っていたが、どうしておられるかなあ」
長城を隔てた彼方の恩人である。年月も経った。今の中行説には知るすべはない。
腹ごしらえも済み、二王子の許へ出仕しようと証を促し、立ち上がった。
「行ってくる」
「お気をつけて。今頃あの辺りは毒蛇がでますから」
そういう時、娟は微かな媚を見せた。
Posted by 渋柿 at 16:10 | Comments(2)
この記事へのコメント
中国人ほど史書を記述するのに熱心な民族はいませんものね。
Posted by 昏君
at 2009年10月21日 17:16

日本で言えば弥生時代、(権力者の周辺に限られるとはいえ)どこの・誰が・いつ・どこで・誰に・あーいったこーいったと判るのはすごいです。
Posted by 渋柿
at 2009年10月21日 19:21
