2009年10月17日

「中行説の桑」85

(狩をすれば肉はこの地でも獲れる。こなれのよい大切な穀物だからこそ長上に捧げて若いものは脂濃いもので我慢しているのだが)
 匈奴にとっても穀物は生死にかかわる必需品であることと深刻な穀物不足は、噫にも出せない。
「これは先祖を賎やしめ、ないがしろにすることに他ならないと思うがのう」
 漢人はさらに言い募った。
 明らかな嫌がらせであった。
 貴族だけでなく、中行説の手ほどきによりその場にいる護衛の兵、奴僕達のほとんども漢語を解する。
 冷たい雰囲気が立ち込めた。
 中行説の傍らにいた軍臣が、後からその背中を押した。説は微かに頷いて立ち上がった。
「お説はごもっともでございますが・・」
「あなたは?」
「申し送れました。和蕃公主薨去の後、単于に仕えております中行説と申します」
 漢人たちは
「こ奴だ」
 というように顔を見合わせた。説は構わず続けた。
「お尋ねいたします、あなた様のお国では国を守るため故郷を出る兵に、年老いた親が自分の着物やら自分達の食い扶持の食までを持たせることは、ございませんのか?」
 漢を敢て「あなた様のお国」と呼ぶ。
「いや、それは・・」
「・・自分達が飢えても、持たせますなあ。それが親の情じゃ」
「ご存知の通りわが国では騎馬と弓矢が国の基なのです。あなたの国とは違ってこの国では、すべての者がそれを判っております。老人や病弱者は馬に乗れず、弓矢ももてません。だから壮健な者に衣食を譲っております」
 半分はまこと、半分はうそであった。
 確かに匈奴で一番優先して穀物を与えられるのは国境を守る兵と軍馬である。だがその残りの穀物は壮者に優先して分配されるわけでもない。むしろ老病者は労わられている。
 実際今のこの漠北の王庭にあっても三十路初めの中行説が、二十代半ばの娟とこの数日口にしたものは、娟が狩って来て手作りした兎や羚の干肉と、野草の羹か酪湯ばかりであった。



Posted by 渋柿 at 22:01 | Comments(0)
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