2009年10月16日
「中行説の桑」82
「よくやった。漢の大軍を撃破するに劣らぬ大手柄じゃ」とっぷりと日が暮れた頃、娟は中行説を連れ帰った。
頬を赤らめながらあらましを報告する娟に、軍臣は笑いながら褒詞を与えた。
「匈奴の女は強いぞ。いざとなれば男を組み伏せ、組み敷く」
「・・まことに」
「観念して、娟と夫婦になるであろうの」
「はい。他聞にはちと憚ることですが、ともに暮らそうと」
「何の、恥ずかしいことなどあるものか」
(いや、やはり大いに恥ずかしいが・・)
自分が宦官であることは王庭の誰もが知っている。兵達に散々からかわれることだろう。だが、珍妙ながら「騎虎の勢い」で行き着くところまで行ってしまった。このままそれを受け入れるしかない。
娟は中行説の狭い穹廬に僅かな家財道具を携えてやってきた。無論その中に、酪つくりのための瓢箪もあった。王庭の誰もから祝福され、何の不自然さもなく新婚生活は滑り出した。
王庭の中枢に仕えるようになった中行説が、老上単于が極秘裏に漢への侵入と略奪を決めたことを知ったのは、この年の秋の初めであった。長城西端を南下し、甘粛を襲って家畜と住民を奪おうというのである。
無論、略奪の主目的は農民であった。麦角汚染は、慢性化の恐れ大の深刻な穀物不足、食糧不足をもたらしていた。
匈奴には、定住して穀物生産に従事する専門知識豊富な集団が絶対に必要であった。
草原に珍しい雨の降る日、中行説は軍臣に伴われ、人払いをした老上単于の穹廬に呼ばれた。
「あと五日ほどで、漢の使者が到着する」
跪いて叩頭する説の耳に、単于の囁きに近い声が届いた。
「近う」軍臣が目で促す。
「はっ」
老上の座す雪豹の際まで、中行説は膝行した。
「その使者に、喧嘩を売ってもらいたい。もっとも、そちから売らずとも向こうがそち知れば突っかかってこようがな」
(また、陽動作戦か)
頬を赤らめながらあらましを報告する娟に、軍臣は笑いながら褒詞を与えた。
「匈奴の女は強いぞ。いざとなれば男を組み伏せ、組み敷く」
「・・まことに」
「観念して、娟と夫婦になるであろうの」
「はい。他聞にはちと憚ることですが、ともに暮らそうと」
「何の、恥ずかしいことなどあるものか」
(いや、やはり大いに恥ずかしいが・・)
自分が宦官であることは王庭の誰もが知っている。兵達に散々からかわれることだろう。だが、珍妙ながら「騎虎の勢い」で行き着くところまで行ってしまった。このままそれを受け入れるしかない。
娟は中行説の狭い穹廬に僅かな家財道具を携えてやってきた。無論その中に、酪つくりのための瓢箪もあった。王庭の誰もから祝福され、何の不自然さもなく新婚生活は滑り出した。
王庭の中枢に仕えるようになった中行説が、老上単于が極秘裏に漢への侵入と略奪を決めたことを知ったのは、この年の秋の初めであった。長城西端を南下し、甘粛を襲って家畜と住民を奪おうというのである。
無論、略奪の主目的は農民であった。麦角汚染は、慢性化の恐れ大の深刻な穀物不足、食糧不足をもたらしていた。
匈奴には、定住して穀物生産に従事する専門知識豊富な集団が絶対に必要であった。
草原に珍しい雨の降る日、中行説は軍臣に伴われ、人払いをした老上単于の穹廬に呼ばれた。
「あと五日ほどで、漢の使者が到着する」
跪いて叩頭する説の耳に、単于の囁きに近い声が届いた。
「近う」軍臣が目で促す。
「はっ」
老上の座す雪豹の際まで、中行説は膝行した。
「その使者に、喧嘩を売ってもらいたい。もっとも、そちから売らずとも向こうがそち知れば突っかかってこようがな」
(また、陽動作戦か)
Posted by 渋柿 at 21:41 | Comments(0)