2009年10月13日
「中行説の桑」71
威厳をつくろって聞く。
「心に愛しておりながらも、言葉に言えず、想いを秘したまま、忘れることもないでしょう・・とは、そなたの心か?」
「はい、ずっとお慕いもうすお方がございます」女は、説の方をヒタと見ていう。(何を冗談を・・)
「コホンこの桑という木は・・」中行説も声をつくろった。「このように実生にても増やせるが、挿し木をするのがもっと効率がよい」
「枝を、地に挿すだけでよいのですな」
「おう。この木は葉が蚕の餌になるだけでなく、実は甘い。干せば日持ちもする。滋養もある。皮は薬じゃ。それに・・」ここで、説はちょっと言葉をとぎらせ、躊躇した。女がにっと笑った。思わず衣のすそに目をやる。(まさか、それも知っておるのか)
「それに・・何でございます」兵が聞く。
「あ、いや、とにかく蚕は、この葉しか食べぬ」
(公主さまの前であった)心中、ひやりとする。 宦官として後宮の雑用役であった中行説には、桑の皮と格闘した時期もある。桑の皮を煮、叩き刻み、また煮溶かし、それを繰り返して乾燥させた繊維は身分の高い女人の月の障りの手当てには欠かせない。作るのにも怖ろしく手間がかか贅沢品である。無論宮女たちが使用した後の始末も、宦官の仕事であった。
家族と暮らしていた頃は幼かったので、庶民の母や姉が毎月どのような処置をしていたのかは全くわからない。多分、今姚娥はじめ匈奴の女達がしているように、干草を叩いたものをフェルトか麻布で包んでいたのであろう。
兵たちはざわめいた。
「ではこの若木がいま少し育てば、苗ともなり種も取れますな」
「匈奴の勢及ぶ地の限り、できる限り挿し木をしましょうぞ」
「祁連山の西の川や泉の傍はどうであろう」
「そこに桑が茂れば、我等で絹を作るも夢ではない」
(いや、それは百年待たねばならぬ夢であろうが・・)
説は無論知るよしもない。百数十年後、世界ではじめて簡便な記録媒体を完成させたのは、説と同じ後宮の宦官であった蔡倫であった。宮女必需品の材料と同じクワ科の楮(こうぞ)の樹皮繊維を、黄蜀葵(とろろあおい)の根の粘液で不織布状に漉き、乾燥させた「紙」の発明である。
「隰桑阿たり其の葉妖たり既に君子を見る 云に何ぞ楽しまざらんや・・心に愛すれど遐ぞ謂わざる 中心に之を蔵し何の日か之を忘れん」
女が、もう一度地面の詩を吟じた。漢の音である。かすかに、訛りがあった。
「心に愛しておりながらも、言葉に言えず、想いを秘したまま、忘れることもないでしょう・・とは、そなたの心か?」
「はい、ずっとお慕いもうすお方がございます」女は、説の方をヒタと見ていう。(何を冗談を・・)
「コホンこの桑という木は・・」中行説も声をつくろった。「このように実生にても増やせるが、挿し木をするのがもっと効率がよい」
「枝を、地に挿すだけでよいのですな」
「おう。この木は葉が蚕の餌になるだけでなく、実は甘い。干せば日持ちもする。滋養もある。皮は薬じゃ。それに・・」ここで、説はちょっと言葉をとぎらせ、躊躇した。女がにっと笑った。思わず衣のすそに目をやる。(まさか、それも知っておるのか)
「それに・・何でございます」兵が聞く。
「あ、いや、とにかく蚕は、この葉しか食べぬ」
(公主さまの前であった)心中、ひやりとする。 宦官として後宮の雑用役であった中行説には、桑の皮と格闘した時期もある。桑の皮を煮、叩き刻み、また煮溶かし、それを繰り返して乾燥させた繊維は身分の高い女人の月の障りの手当てには欠かせない。作るのにも怖ろしく手間がかか贅沢品である。無論宮女たちが使用した後の始末も、宦官の仕事であった。
家族と暮らしていた頃は幼かったので、庶民の母や姉が毎月どのような処置をしていたのかは全くわからない。多分、今姚娥はじめ匈奴の女達がしているように、干草を叩いたものをフェルトか麻布で包んでいたのであろう。
兵たちはざわめいた。
「ではこの若木がいま少し育てば、苗ともなり種も取れますな」
「匈奴の勢及ぶ地の限り、できる限り挿し木をしましょうぞ」
「祁連山の西の川や泉の傍はどうであろう」
「そこに桑が茂れば、我等で絹を作るも夢ではない」
(いや、それは百年待たねばならぬ夢であろうが・・)
説は無論知るよしもない。百数十年後、世界ではじめて簡便な記録媒体を完成させたのは、説と同じ後宮の宦官であった蔡倫であった。宮女必需品の材料と同じクワ科の楮(こうぞ)の樹皮繊維を、黄蜀葵(とろろあおい)の根の粘液で不織布状に漉き、乾燥させた「紙」の発明である。
「隰桑阿たり其の葉妖たり既に君子を見る 云に何ぞ楽しまざらんや・・心に愛すれど遐ぞ謂わざる 中心に之を蔵し何の日か之を忘れん」
女が、もう一度地面の詩を吟じた。漢の音である。かすかに、訛りがあった。
Posted by 渋柿 at 06:12 | Comments(2)
この記事へのコメント
植物って強いですよね。
高等な動物には至難の業のクローンも、植物なら細胞1個から世界中に広げられる苗を作ることも可能ですから。
高等な動物には至難の業のクローンも、植物なら細胞1個から世界中に広げられる苗を作ることも可能ですから。
Posted by 昏君
at 2009年10月13日 11:10

桑の紙漉きの可能性、無理矢理挿入しております(^^;
Posted by 渋柿
at 2009年10月13日 14:16
