2009年10月10日
「中行説の桑」64
「あの・・」中行説は馬を繋いだ綱を解きながら姚娥に聞いた。「帰りの道、お判りですか。夢中で公主様を追ってまいって、どこをどう走ったか」
川と楡の疎林を除き、ただ広い草原の真っ只中であった。
「大事ありません。馬に任せましょう。飼馴らした馬は、自分の厩に戻るものですよ」
「そうでした」
「それより、帰り道はよく頭に入れておきましょう。桑の育ち、見守らねばなりません」
それから、中行説も勉めて姚娥の護衛や馬丁らと言葉を交わした。無論最初は身振り手振りである。挨拶を覚え、馬や牛や羊、天幕などの単語を覚え、短い夏が過ぎて草原がほのかな黄色に染まるころには、ほぼ不足なく話ができるようになった。
「公主様からの下されものですぞ」昼下がり、中行説は絹の手巾を兵たちに配った。
姚娥は単于や軍臣から贈られた絹を侍女達と裁ち縫いして手巾に仕立て、しばしば自分に仕える匈奴の兵たちに配った。
「これは公主様のお召し物にと・・」といっても、「私は皮衣で充分です。絹を着て狩に行けますか」と取り合わない。おとなしく穹廬で縫い物をしているだけの姚娥ではない。しばしば軍臣の誘いに応じ、馬を駆って狩にも付いて行く。
(太子の教え方もよろしいのだろうが・・)匈奴の血であろう。
姚娥は弓の腕もメキメキと上げていた。今では、ときに空を行く雁さえ射落とす程である。兵たちは歓声をあげて駆け寄り、手巾を受け取った。と、しばらく額を寄せて何やら話し合っていたが、やがて地面に丸やら四角やら三角、直線や曲線の思い思いの絵を描いた。それから、つと一人が厨の天幕に走った。
(何事だ・・)と見ていると、煤でそこが真っ黒になった鍋を抱えて帰ってくる。
兵たちは箙から矢を抜いて鏃に煤を塗った。
「何をするのかね」思わず説は声をあげた。
川と楡の疎林を除き、ただ広い草原の真っ只中であった。
「大事ありません。馬に任せましょう。飼馴らした馬は、自分の厩に戻るものですよ」
「そうでした」
「それより、帰り道はよく頭に入れておきましょう。桑の育ち、見守らねばなりません」
それから、中行説も勉めて姚娥の護衛や馬丁らと言葉を交わした。無論最初は身振り手振りである。挨拶を覚え、馬や牛や羊、天幕などの単語を覚え、短い夏が過ぎて草原がほのかな黄色に染まるころには、ほぼ不足なく話ができるようになった。
「公主様からの下されものですぞ」昼下がり、中行説は絹の手巾を兵たちに配った。
姚娥は単于や軍臣から贈られた絹を侍女達と裁ち縫いして手巾に仕立て、しばしば自分に仕える匈奴の兵たちに配った。
「これは公主様のお召し物にと・・」といっても、「私は皮衣で充分です。絹を着て狩に行けますか」と取り合わない。おとなしく穹廬で縫い物をしているだけの姚娥ではない。しばしば軍臣の誘いに応じ、馬を駆って狩にも付いて行く。
(太子の教え方もよろしいのだろうが・・)匈奴の血であろう。
姚娥は弓の腕もメキメキと上げていた。今では、ときに空を行く雁さえ射落とす程である。兵たちは歓声をあげて駆け寄り、手巾を受け取った。と、しばらく額を寄せて何やら話し合っていたが、やがて地面に丸やら四角やら三角、直線や曲線の思い思いの絵を描いた。それから、つと一人が厨の天幕に走った。
(何事だ・・)と見ていると、煤でそこが真っ黒になった鍋を抱えて帰ってくる。
兵たちは箙から矢を抜いて鏃に煤を塗った。
「何をするのかね」思わず説は声をあげた。
Posted by 渋柿 at 17:49 | Comments(0)