2009年10月05日
「中行説の桑」51
「匈奴の信じるところではな、人が死ぬとき、魂は青い空の果てに帰る。そして体は草原に朽ちて牧草を育てる」
「いかにも遊牧の民の信仰らしい」
「まあ、儂の場合、魂は蒼穹に帰れても、さて、身はどこで朽ちるものやら、わかったものではないがな。娃も長城の向こうで死んでしもうたし」
「娃様・・公主様の母上・・」(やはり、亡くなっていたか)
「儂が死んだことになって丁零に閉じ込められている間に、娃は本当に死んでしもうた。自害らしい。姚娥は一族の琅邪王、今の燕王劉沢に引き取られていたし。まあ代王・・今の皇帝も仕方がなかったのであろうが」
「多分そうでしょう。呂氏の天下で、高祖皇子六人のうち生き延びたのはただのお二人、でしたからなあ」
「中行説、お前、二度と生きて漢に帰れぬ覚悟は出来ているといったな」
「はい」
「漢の公主として嫁いで来た娥姚は、漢の皇帝の血と共に匈奴の血も引いておる。今の皇帝は即位前、匈奴の女間諜と情を通じていた。念を押す必要もなかろうが、秘密を知ったお前が漢の地を踏もうとすれば・・死んでもらうことになる」
「判っております」
「説、いくつになった?」
「二十四になりました」
「姚娥が長生きすればよいが・・」蘭牙は哀れむように中行説を見た。
扈従した公主が死去したとき、宦官が匈奴の地に留まれるのはその喪が明けるまでである。
漢はそれ以上漢人が匈奴の地に留まることを許さない。そして匈奴は生きて漢の地を踏ませないとすれば・・
「そのときは、本当に亡霊になるだけのことです。いや、きっと公主様にはずっとこの地で健やかにお過ごしになられましょう」
「そうあってほしいが・・劉恒殿の仁は例外じゃ。間諜の戦いは、酷いぞ」
いわば相手方の致命的な醜聞、匈奴側が有効にこの情報を使おうと思えば、「その時」まで秘密は厳に守られねばならない。秘密が顕われる惧れがあるなら、今の蘭牙は躊躇なく中行説を殺すだろう。
「公主様のためにも、秘密が顕われてはなるまい、と思います」
「呂氏の時代に趙王に封じられていた二皇子の運命は知っていよう」
「はい。如意様は僅か八歳で毒殺されました。生母の戚夫人はなぶり殺し。次に趙王となった劉友様は正妻の呂氏の女を愛さず、讒言されて長安に呼ばれ幽閉されて餓死・・」
「劉友殿が餓死した後、呂后から代王殿に趙への国替えの打診があったそうじゃ。代に比べて趙は大国、都へも近き故いかがか、と」
「それは・・罠でしたな」
「おお。如意殿も劉友殿も、趙に封じられたあとすぐに殺されておる。ゆくゆく劉氏の王をすべて滅ぼして呂氏の天下にしようとしていた呂后だからのう。『折角のご厚情ではございますが代は匈奴に近く、その守りが私の仕事でございます。どうぞ引き続き代に封じてくださいますよう伏して願い奉ります』と、間一髪その罠をかわされたようじゃがな」
「それはご自身で調べられたことで」
「いや、儂は代には二度と足を踏み入れてはおらぬ」
(陛下との約束だけは守られたか)
「いかにも遊牧の民の信仰らしい」
「まあ、儂の場合、魂は蒼穹に帰れても、さて、身はどこで朽ちるものやら、わかったものではないがな。娃も長城の向こうで死んでしもうたし」
「娃様・・公主様の母上・・」(やはり、亡くなっていたか)
「儂が死んだことになって丁零に閉じ込められている間に、娃は本当に死んでしもうた。自害らしい。姚娥は一族の琅邪王、今の燕王劉沢に引き取られていたし。まあ代王・・今の皇帝も仕方がなかったのであろうが」
「多分そうでしょう。呂氏の天下で、高祖皇子六人のうち生き延びたのはただのお二人、でしたからなあ」
「中行説、お前、二度と生きて漢に帰れぬ覚悟は出来ているといったな」
「はい」
「漢の公主として嫁いで来た娥姚は、漢の皇帝の血と共に匈奴の血も引いておる。今の皇帝は即位前、匈奴の女間諜と情を通じていた。念を押す必要もなかろうが、秘密を知ったお前が漢の地を踏もうとすれば・・死んでもらうことになる」
「判っております」
「説、いくつになった?」
「二十四になりました」
「姚娥が長生きすればよいが・・」蘭牙は哀れむように中行説を見た。
扈従した公主が死去したとき、宦官が匈奴の地に留まれるのはその喪が明けるまでである。
漢はそれ以上漢人が匈奴の地に留まることを許さない。そして匈奴は生きて漢の地を踏ませないとすれば・・
「そのときは、本当に亡霊になるだけのことです。いや、きっと公主様にはずっとこの地で健やかにお過ごしになられましょう」
「そうあってほしいが・・劉恒殿の仁は例外じゃ。間諜の戦いは、酷いぞ」
いわば相手方の致命的な醜聞、匈奴側が有効にこの情報を使おうと思えば、「その時」まで秘密は厳に守られねばならない。秘密が顕われる惧れがあるなら、今の蘭牙は躊躇なく中行説を殺すだろう。
「公主様のためにも、秘密が顕われてはなるまい、と思います」
「呂氏の時代に趙王に封じられていた二皇子の運命は知っていよう」
「はい。如意様は僅か八歳で毒殺されました。生母の戚夫人はなぶり殺し。次に趙王となった劉友様は正妻の呂氏の女を愛さず、讒言されて長安に呼ばれ幽閉されて餓死・・」
「劉友殿が餓死した後、呂后から代王殿に趙への国替えの打診があったそうじゃ。代に比べて趙は大国、都へも近き故いかがか、と」
「それは・・罠でしたな」
「おお。如意殿も劉友殿も、趙に封じられたあとすぐに殺されておる。ゆくゆく劉氏の王をすべて滅ぼして呂氏の天下にしようとしていた呂后だからのう。『折角のご厚情ではございますが代は匈奴に近く、その守りが私の仕事でございます。どうぞ引き続き代に封じてくださいますよう伏して願い奉ります』と、間一髪その罠をかわされたようじゃがな」
「それはご自身で調べられたことで」
「いや、儂は代には二度と足を踏み入れてはおらぬ」
(陛下との約束だけは守られたか)
Posted by 渋柿 at 14:41 | Comments(0)