2009年10月01日

「中行説の桑」43

 この文公の妻は史上、「狭量な婦人の情に打ち勝って夫の義を立て、送り出した婦徳の鑑」とされている。
 だが、殺された侍女と似たような立場の宦官である中行説にすれば、「身分の高い方々は、時には平気で惨いことをなさるものだ」という、諦めめいた教訓でもある。
 軍臣は、一瞬笑いかけ、すぐに顔を引き締めた。哀しいものを見るように中行説を見る。
「心配いたすな、殺しも埋めもせぬ。もしそなたが知れば殺さねばならぬことなら、その脳天をぶん殴って、しばらく昏倒でもさせればすむことであろうが」
 説の腹の辺りから、けだるいものが湧き上がった。
(死なずに済む!)
 全身の力が、抜けた。引きつった笑いをうかべる。
「太子、痛いのも苦手、と申しておるではありませんか」
(軍臣様は、春秋戦国の、手に出来る限りの記録を読破しておられるのか)
 本稿も依拠している太古から数千年、少なくとも二千年近い歴史を纏めた歴史書は、まだ編まれていない。だが古代王朝や諸侯は史官を抱え、それぞれの事跡を記録させている。
(膨大な読書を、なさったようだ)
 文武両道の太子に、好感が湧いた。
「冗談じゃ。これから参る間諜はそなたのことも存じているし、逢いたいそうな」
「私のことも?」
「そら、参った」
 軍臣が、豺の皮から立ち上がった。
(太子も匈奴、さすが夜目が利かれる)



Posted by 渋柿 at 15:51 | Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。