2009年09月27日

「中行説の桑」34

(緑だ!)と思った。水は枯れたはずの川床に点々と苜蓿の茂みが現れ始める。更に行くと薊が一つ、風に揺れていた。案内人が手綱を引き、馬の足を緩めた。
「かなり、砂漠の縁を離れたようですな」説が聞くと、
「もうすぐ泉があります。今宵はそこで宿営されるはず」という。
「ではもう・・」
「はい。ここはもう漠北、匈奴の本拠地といってもようございます」
 老上単于の父、漢の高祖を完膚なきまでに破った冒頓単于はまた、東の東胡を滅ぼし西の月氏をさらに西方に追放し、膨張した版図を行政上三分した。すなわち東胡の跡を左賢王、月氏の支配下であった西域の統治を右賢王に託し、その中央を直轄地として獏北に単于が君臨する現体制を確立したのである。
(ついに・・)ゴビの砂漠をはるばる西に迂回した旅も、終わりが近いのだ。
 それから、御柳の疎らな群落をいくつか見た。その僅かな木陰で馬を降り、案内人は焼いた引き割の麦を説に勧めた。馬は並んで苜蓿を食みはじめている。
「申し訳ありません、胃の腑が受け付けませぬようで」
「まだ顔色が悪い。無理はなさらぬがよい」
「水だけ頂きまする」
 鞍から水筒をはずして渡しながら、案内人はニヤリと笑った。
「これから宦官殿は匈奴の地に住まれるのですから・・」
「はあ?」
「馬乳酒にはくれぐれもお気をつけなされ。口当たりは悪くないが、酒精がきつい。騙されますぞ」
「面目ない」
 公主も、当然自分の失態を知っているだろう。怒っているだろうか、と思った。

 行列に追いついたのは、夕方だった。草原を、赤い夕日が照らしていた。
 公主の一行は、漠縁に掛かる前と同じく、泉の傍らに天幕を張り竃を設え、宿営の準備をしてる。
もはや隠密に護衛する必要もないと見たのであろう、匈奴の太子、軍臣らも、少し離れたところで天幕を張っていた。



Posted by 渋柿 at 06:16 | Comments(0)
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