2009年09月24日

「中行説の桑」29

「やはり・・」
「これが二日ほどで紫色になりまして、更に五日で青くなり・・蚕が孵ります」
 絶望的な気持ちになった。案内の長は、あと半月は砂漠の縁を進まねばならぬといっていた。桑どころか、草一本見えぬこのような所で孵った蚕は・・(死ぬしかあるまい)
 長城での身体検査があり、今も護衛の漢兵の目がある。桑の葉一枚、携えることはできなかった。なすすべは、なかった。
 孵ったばかりの蚕は米粒より小さい。それでも黒い毛を生やし、桑を求めて盛んに蠢いた。だが、与える桑は・・ない。二日後には、一匹、また一匹と力尽きていった。
 獏縁(ばくえん)に道をとって十日目、現在地は浚稽(しゅけい)山の麓という。今でいうアルタイ山脈の東端、ゴビ砂漠の西端である。
 深夜、中行説は長い薪を松明代わりに、天幕を出た。満月が、その要もなく足元を照らしていた。当直の兵士の目の届かぬと思われるところで、薪を振って火を消し捨てる。
 素手で、砂を掘った。そして公主から託された手巾の包みごと、死んだ蚕を埋めた。
(やはり、無理だった。済まぬことをした)
 中行説は、苦い思いで砂をかぶせる。月光が、ささやかな盛り土に光と影を作っていた。しばらく、黙然と座り込んでいた。
「何を埋められた」突然声を掛けられて、説は飛び上がった。
(見られた)
「漢の、公主のお供の方であろう」
「あなたは・・」やや訛りはあるが、正確な漢の言葉であった。「匈奴の将、ですね」
 皮革戎(じゅう)衣(い)、匈奴の武装をした男が、光を浴びて立っていた。
「おう。単于の命で、陰ながら行列を守っておる。もう三日になろうか。気付かれなかったかな」
「はい」
 男の声は思いがけず若かった。
(十七、八・・公主様より少し上か)
 説は、月光に相手の横顔を透かして思った。
「何を、埋めた?」
「・・・」
 一瞬、正直に話すかどうか迷った。



Posted by 渋柿 at 06:43 | Comments(0)
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