2009年09月23日

「中行説の桑」27

 三
 先代、冒頓単于が匈奴の版図を最大にしていた。現在のモンゴル共和国をすっぽりと包み、東南は漢の長城に肉薄している。そして北はロシア領バイカル湖、西はカザフスタン領バルハシ湖をさらに越えて、その勢力を伸ばしていた。和蕃公主が嫁ぐべき老上単于の本拠地は、数千里の彼方の漠北・・ゴビ砂漠を突っ切ったその向こうである。
 清明節の日、未央宮の正殿に文武百官が居並ぶ前で、文帝は公主の両耳に手ずから翡翠の耳飾りを着けた。餞(はなむけ)である。公主は跪いて暇を乞い、輿入れの一行は長安を出発した。何度も皇帝の使者を護衛して獏北に赴いた将五騎が、道案内として先導する。幌を掛けた公主の馬車の前後を、五十人の騎兵が守護し、三人の侍女が乗る無蓋の馬車が従った。最後尾は輜重を積んだ荷車が二十輌続く。中行説も騎馬で、公主の馬車の脇にぴたりと寄り添った。
 驚くべきことであった。何とおしのび、窶した騎乗姿で、皇帝は花嫁行列を渭水のほとりまで見送ったのだ。
「道中、無事を祈っておる」
 河畔の柳は清明の季を違えず、柔らかく萌え初めていた。文帝は馬上その枝を折り、馬車を降りて跪いた公主にそのまま渡した。
「陛下」公主は帽子の上の巾角(ベール)を脱ぎ、その上に折柳を受けた。
 折柳。旅人の無事を祈る習いのものである。通常は丸く環にして渡す。「環」は、「還」に通ずる。無事に還れとの意である。異郷に嫁ぐ公主には、永遠に「還る」日はない。枝のままの折柳を渡すしかないのだ。
 中行説は進み出、公主から折柳を受けて拝し、公主の馬車の幌にかざした。そして、公主の帽子を再び巾角で覆った。この帽子の内に、蚕種と桑の種を潜ませていることは、公主と中行説だけがしか知らぬ。
「参ります」
公主はもう一度深く皇帝を拝し、馬車に乗った。
「うむ」
 輿入れのためだけに作られた仮橋を、花嫁行列は渡る。渡りきって振り返ると、騎乗の文帝の姿は小さくなってなお対岸にあった。



Posted by 渋柿 at 07:11 | Comments(0)
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